うつぶしの森 延元3年(1338)新田義貞が越前で亡くなり、三男の義宗が嫡嗣として扱われて越後に匿われました。 義宗は、長じて越後・関東に於いて南朝方に与し足利尊氏に挑みます。一時は鎌倉の奪還を果たしますが、忽ち劣勢に追い込まれてしまいます。 正平23年(1336)二代将軍足利義詮と初代鎌倉公方足利基氏の死を機に、再び鎌倉を討たんと決起します。七千の兵を率いた義宗と、その鎮圧に向かった足利方上杉憲正將・能憲軍六万が沼田台地で激戦を繰りひろげました。義宗は、この戦いで右眼を矢で射ぬかれ、俯せ(うつぶし)に落馬して最期を遂げました。 地の民は、義宗の霊を「うつぶし明神」として祀り、かの地を「うつぶしの森」と称して伝えてきました。