ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第六十三話「輝く空」




 焼け焦げて打ち捨てられていた帆布を見つけて小道具をくるみ、再び司令部跡地に上がってアーシャに乗り込む。
「ジュリアン、壊れても向こうですぐ組み立てられるから、鞍と自分の身体で挟み込んでくれていいよ」
「了解です!」
 手綱を握るので荷物は彼に持たせ、地上の総司令部前に急ぐ。アンリエッタの座するそこは守りを強固にするべく、ゴーレムが岩を持ち上げて積んでいる。
 その作業を横目にアーシャを降ろすとジュリアンには待機を命じ、騎士らに答礼を返しつつリシャールは一人で中に入っていった。
 先に訪ねた時よりは幾分司令部らしくなり、テーブルには地図が広げられている。
「リシャール!
 そちらはどう?」
「いま仮の司令部を発足させたところだよ。今日明日中に最低でも一隻は修理を済ませられる。
 後ろに行くほど後回しにされていた被害の大きい艦が当たるから、厳しくなるけどね」
「そう……」
「さっき頼んだ陸軍士官はもうこちらに来ているかな?」
「ええ、もちろん」
「君、タヴェルニエ参謀をここに」
「はっ!」
 騎士が駆け出してすぐ、四十絡みの陸軍士官を連れてきた。幾分待たせていた様子である。
「王軍フォッシュ連隊麾下ロムバウド大隊所属、次席参謀ピエール・アラン・ド・タヴェルニエであります」
「よろしく頼みます」
「それと、マザリーニ猊下」
「なんでしょうか?」
「ちょっと気になっていたことがあって……」
 先ほど机で書き付けた紙片を、こっそりと手渡す。
 中を見たマザリーニは一瞬目を見張り、頷いた。
「では、お任せします」
「はい、陛下」
 彼は余計なことを口にせず、リシャールを送り出してくれた。
 そのまま挨拶もそこそこにタヴェルニエを連れ、待たせていたアーシャに飛び乗る。日が傾きかけているので急ぎたい。
「アーシャ、また東側から隠れて上に!」
「きゅー」
「タヴェルニエ参謀」
「はっ!」
「貴官には敵の大まかな配置を判じて貰い、夜襲に参加して戴くことになります」
「はい、伺っております」
 敵は当然劣勢なトリステインからの夜襲を警戒しているだろうし、味方は少なくともラ・ロシェールの世界樹を引っこ抜いて位置をずらせないから、両者共に篝火を焚く。彼には空海軍士官ではわかりにくい敵地上部隊の司令部の位置や補給物資の集積所などを特定して貰い、夜襲の成功率を上げる助力を乞うていた。

 艦隊司令部跡地付近に再び降りて、手近にあった見張り所に向かう。タヴェルニエ参謀に望遠鏡を渡し彼が大凡の敵情を把握すると、リシャールは『ドラゴン・デュ・テーレ』にとって返した。
 艦には降ろさず、隣にアーシャを降ろす。既に大方の準備が整っているのか、艦上にはそこかしこに樽詰めの小石や一抱えもある岩が積み上げられていた。
「陛下、こちらは準備完了であります!」
「ご苦労様!
 ジュリアン、手伝って!」
「はい!」
 タヴェルニエ参謀をビュシエール副長に紹介し、作戦の肝を詰めて貰う。
 こちらは小道具の準備だ。

 リシャールの作っていたもの。
 それはどう言葉を飾ったところで、爆撃用の照準器に他ならなかった。

 覗き穴は直径五サント、長さ三十サントの二本の金属パイプで、目標を拡大する機能すらないが、視野を制限することで目標中心部への視界が得られた。自分で覗いたところ目の縁が切れそうになったので、今は錬金したガラスをパイプの端に丸く盛り上げてある。
 基部にはガラス管に油と気泡を入れた水準器と船縁に取り付ける金具、フネが揺れることを見越して持ち手もついていた。無論、金具と言っても錬金で締め付ける型式である。
 この様に備えられた機能は単純で、風向きや艦速による補正もできない。
 ついでに言えば信管付きの爆弾などというものはこの短時間で用意できるはずもなく、『ドラゴン・デュ・テーレ』が敵地上空でばら撒くのは石や岩だった。もう少し時間があれば火薬樽か油樽に火縄か何かで発火装置を付けただけの手製爆弾なら作れたかもしれないが、真似から応用に入られる時間は少しでも長い方がいい。
 『ドラゴン・デュ・テーレ』は今夜、これら仕掛けを使ってアルビオンと同じぐらいの高度……三千メイルの高空から『爆撃』を行うのだ。

 王都からの航行中、ラ・ラメーやビュシエールに作戦をうち明けたときに最も懸念されていたのは、ラ・ロシェールが壊滅していて補給物資が受け取れない可能性だった。風石は最悪でも王都の空港に幾らかは備蓄もあったが、それで駄目ならセルフィーユ本国に帰還するしかないし、そもそも最低限三週間、悪ければそれ以上の長丁場となる戦いだったから、大砲の代わりに石を使うという些か原始的な方法は少しでも物資を節約するという面から支持されている。
 汚れ仕事に近い作戦を命ぜられたというのにビュシエールは渋面さえ作らず、『そりゃ一メイルの高さから落ちてきた石でも痛いのに、三千メイルじゃ酷いことになりますな』と、涼しい顔であった。
 ついでに言えばこちらの艦隊は壊滅しているし、警戒にあたっている竜騎士も高度が違いすぎて気付くまい。城攻めと違い、相手が塹壕と天幕で寝泊まりしているというのも都合が良かった。二回目からは警戒も厳しくなるだろうが、彼我の戦力差を考えれば元より苦しい戦いで、夜警に戦力を割けば当然主力が動く昼間は多少なりとも層が薄くなるからどちらに転んでも悪くない。
 一つだけ考えていたのは、おそらく敵が同じ事をしてくるだろうという心配だった。これは出来る限り多数の防空壕を掘っておいて欲しいとアンリエッタに伝え、竜騎士を高空にも配置するよう手配して、それで終いにしている。……短時間で実現可能なそれ以上の良い手を、思いつかなかったのだ。

 空より地上を攻撃するという着想その物は、以前より心中に持っていた。第一、ハルケギニアでも攻城戦に軍艦は欠かせないし、野戦の支援に戦列艦が用いられることもあった。沢山の大砲を積んでいる上に、野砲に比べて比較的高速かつ自由な移動が出来ることは既に認識されており、各国軍の教本にも記載されている。
 こちらの世界のフネは、飛ぶ。
 即ち飛行機に類する行動が可能であり、ヘリコプターのように空中に静止する事もできた。積み荷も恐ろしく大量に積める。戦列艦に比べれば細身で小さい『ドラゴン・デュ・テーレ』でさえ、百人乗せた上で一千樽を余裕で上回る積載量を誇っていた。
 リシャールもフネを手に入れた当初は商売とそれに付随する物流について頭を働かせることが殆どだったが、幾度かの戦闘を経て、自分の根本的な勘違いに気付いている。
 いつの間にか、純粋に金銭と倫理観だけで計量できる損得のみで利益を計算できない立場になっていた。男爵に叙爵された時点でそれは始まっていたはずだが、影響力を大きく感じるようになり、僅かでも理解が及んだのは国王になってからだ。
 葛藤は……あったと言えるのかどうか。
 未だ自身にも答えは出せていない。
 だが世の流れを傍観して商売に励み家族を慈しむだけでは、リシャールの人生は成り立たなくなってしまっていた。
 あらゆる意味で身を守らねばならないし、そこにはこちらから武力を振りかざすという避けて通りたいような道筋さえもが、正道、あるいは『王道』として待ちかまえていた。
 この『爆撃』という着想を表に出したからとて、そこに大した意味は無いのかもしれない。
 空を飛ぶフネがあり、火薬があり、戦争がある限り、誰かが思いつくだろう。少しだけ時計の針を早く回しただけのことだ。
 しかし想像される未来よりも歴史に早く登場した分だけ、余計な人死にを産むこともまた事実だった。
 人の死が増えることを歓迎するような心は持っていないが、だからと無抵抗で家族と自分の首を差し出すような愚かなことも出来ない。
 矛盾していることが明白であるならば、結局は心と折り合いを付けながら都合良く答えを導くしかないのである。
 自分の倫理観正義感などその程度の物だと、リシャールは自覚することになった。

 照準器の設置が終わったので使い方を士官らに説明し、地上に的を描いて小石を落とす。
 概ね良い様子だが、船縁と地上は十メイルと離れていないからこれは当然だった。本番では大きさも様々なら重さも色々な石を両側の船縁から手作業と魔法でばらばらと落とすわけで、命中精度は元より期待できない。
「多少ばらけた方がいいんですよ。
 ほんの一メイル二メイルの範囲に敵が全員集まっているわけじゃないですから」
「道理ですな」
「篝火で形作られた敵陣の内側なら、どこに落ちてもいいんです。
 何かあった、敵襲か、いやわからないぞ……となってくれるだけで万々歳です」
「フネを狙いたいところですが……こりゃあ、無理ですな」
 ビュシエールはそちらが気になる様子だった。
 彼も長い時間をトリステイン空海軍で過ごしてきたのであり、同じ戦果でもフネを狙いたいという気持ちはわかる。
「今日積んだ石じゃちょっと苦しいでしょうね。
 ゴーレムでないと持てないような大岩を昼間の軍港に放り込むなら、訓練次第では出来なくもない、とは思うんですが……」
「……ほう?」
「艦の速度と高度、それに風がわかっていれば、極端な形状でない限り岩の落ちる位置はほぼ決まるはずです。
 幾度も試してどの程度ズレが生じるか、それがわかれば当たり易くなる……かな?」
 この一戦が終わったら考えてみましょうと、ビュシエールは思案顔で頷いた。
 随分と拘って食いついてきたので理由を聞いてみれば、何のことはない。
「一度くらいはフリゲートで戦列艦を木っ端微塵にしてみたいと思っておったんですよ。
 陛下の仰った方法なら、積んでる大砲の大きさは関係ありやせん。
 足が速くて上が取れりゃ、案外動いてる奴にだって当てられる可能性はありそうだと思います」
 ビュシエールの言葉の意味とその先にある物を思い浮かべ、リシャールは曖昧な表情で笑って見せた。

 暗くなる前に出航した『ドラゴン・デュ・テーレ』は、真北に向けて進路を取った。
 敵が警戒していない航路外の海上で高度を上げ、そのまま大回りして西、つまり敵の背後から進入する予定だ。後は敵が遮二無二追撃してくるようなら誘引しつつ北か南へと逃走し、追撃がなければ静かにラ・ロシェールへ入港せよと命じてある。アンソンとは顔も合わせていないが、ビュシエールもリシャールも話題にすらしなかった。
「さて……戻ろうか」
「はい」
 それを見送り、リシャールはジュリアンを連れてラ・ロシェールへととって返した。
 こちらはこちらで忙しい。
 総司令部前で騎士をつかまえて『夜襲部隊出撃、攻撃予定は深夜』と伝え、そのまま大樹の陰をアーシャで駆け上がる。
「アーシャ、ごめんね。
 今日は僕もアーシャもご飯抜きだったね」
「……きゅい」
 状況を理解している彼女はふるふると首を振ってくれたが、近隣の村々にはもう避難の指示が出ているし、竜一頭分の食餌の用意となれば混乱を招くだろう。無論、勅命を下して用意させる手は一番最初に却下している。流石に空海軍将兵の心証とアーシャの食欲では、天秤に掛けられない。
 数日の余裕はありそうだが、そろそろ補給の心配もした方がいいのかも知れなかった。いまはともかくラ・ロシェールの維持が優先されるが、トリスタニアやセルフィーユといった後方から持ってくるにしても、無いに等しい正面戦力の拡充とは別に徴用商船やスループを用いた輸送路は早期の確立が必要だ。
 タヴェルニエと敵陣を観測したあたりに数名が配置されているのを確かめ、リシャールは下層にある軍港桟橋へと向かった。

「陛下、お帰りなさいませ」
「ご苦労様です」
 出た時よりも幾分片付いた様子の桟橋を斜めに見つつ仮設司令部へと戻れば、こちらも多少は落ち着いたのか、ラ・ラメー他数人の艦長らが海図台に取り付いていた。
「こちらも重傷者後送第一陣の手配と命令系統の組織化は済みました。
 後はフネの方ですな。
 酷い状況は変わらずですが、明夜には二隻出せそうです」
「敵の攻撃がなければ、ですね」
「はい」
「それから……戦闘が始まれば引き上げさせますが、こちらの独断で千五百名ほどを陣地構築の支援に回してあります。
 フネはありませんが、半減したとは言え人数だけなら地上の数倍は居ますからな」
 その他にも、桟橋各所への艦載砲の配置や見張りの増員、補給処や工廠の復旧作業に放棄を決定した艦の乗組員を送り込んでいるという。物資も……特に食料は幾らか融通したそうだ。
「兵の方はどうです?
 特に白兵慣れした水兵は、下に回せそうですか?」
「あまり数にはなりませんでした。
 生き残りは隊を組ませ、夜襲と港湾防御に投入する予定であります」
 それは仕方ないかと、リシャールも頷いた。
 地上の部隊を手厚くしておきたいのは山々だが、空海軍の被害は甚大である。
 艦が大破して現状では使えない艦載砲を降ろして地上で使おうかとも考えていたが、そちらも都合が悪かった。輸送手段がメイジの杖か竜かというあたりに限られるのは予想済みでも、本体の他に弾薬の輸送も必要で、手間が掛かりすぎて今日明日には無理なことが判明している。
 ……ついでに言えば、同じ撃つなら高度のある桟橋からであれば撃ち下ろしになるので、射程の面でも好都合だった。そのあたりはラ・ラメーが上手く手配したようで、気休めながら桟橋や通路などに艦載砲が再配置されているのはリシャールも見ていた。
「艦長、私はもう一度、竜騎士隊に顔を出してきます。
 アーシャに餌を食べさせたいですし、明日からは……竜騎士でいる方が何かと都合もつけやすいでしょう」
「はっ!」
 防戦が失敗して最悪の事態が起きた時、アンリエッタを逃がすのはリシャールの役目だ。
 誰に言われたものではないが、今の彼女にものを言って聞かせられそうな人間は、この場では自分とマザリーニぐらいだろうと思える。先ほどそのマザリーニには話を通しておいたが、アンリエッタが素直に言うことを聞くとはとても思えないから、アーシャにくくりつけて王都に飛ばすぐらいが関の山、ある意味、外患誘致を伴ったクーデターと言うべきか……。
「ジュリアン、君はしっかり休んでくれ。
 明日はたくさん走り回って貰うから」
「了解です!」
 まあ、誰も口には出さないが。
 ……今夜の襲撃が成功であれ失敗であれ、明日は恐らく、敵の攻勢が確実に待っているはずだった。

 夜の内にリシャールは竜騎士隊の駐屯地と往復し、明日の打ち合わせを済ませた。無論、往復の途上はアーシャ任せで、その時間を仮眠にあてている。
 数日内にはラ・ロシェールの手前に竜騎士隊の補給処を用意、飛行時間を無駄にせぬ警戒網を作り上げる算段も立てたが……明日の初戦だけは消耗がどうの持久戦がどうのと言っていられるわけもなく、隊長代行のデフォルジュ子爵からの進言もあり、少し多めの予備戦力として数騎の竜騎士を引き連れて戻っていた。
 運用その物は隊を率いる中隊長に任せ、甚だ薄いながら周囲の警戒と、アンリエッタがいる陸軍の司令部の直衛に回していた。もう少しなら数に余裕はあるものの、ラ・ロシェールと王城の連絡に幾らかは割いて於かねばならないし、それはそのまま予備の予備となった。
「陛下、そろそろ日が明けます」
「……うん、ありがとう」
 仮設司令部に近い兵舎で仮眠を取っていたリシャールは、ジュリアンに起こされた。隣近所にはやはり、司令部要員として集められていた士官らがハンモックに揺られている。
 静かに廊下へ出て司令部に戻れば、ラ・ラメーは仮眠中だった。桟橋の隅っこからこちらを見つけたアーシャに小さく手を振り、留守居役の幕僚をつかまえる。
「夜襲はどうでした?」
「はっ、現在のところ成否は不明ながら、相応の混乱を敵軍にもたらしたようです。
 また、視界内では交戦に至りませんでしたが、敵竜騎士の追撃があり、『ドラゴン・デュ・テーレ』は北方に抜けた様子であります」
「そうですか……。ああ、ありがとう」
「はっ!」
 開戦前日の夜中に起こされれば士気も落ちるだろうし、怪我人が出て人手が取られるなり、司令部に混乱が生じれば万々歳、明日もあるぞと警戒してくれれば、敵に余計な負担を強いることになる。なにせ今夜などは、襲撃の手前で引き返したっていいのだ。
 今更だが、敵は超大型戦列艦を含むほぼ無傷の二十隻余と竜騎士、そして三千は下らない陸軍が布陣を終えているはずだった。夜襲の被害も皆無ではないだろうが、繰り返すことで継戦能力と士気を奪うことこそが目的で、攻撃を躊躇わせるほどの影響力は最初から期待されていない。
 対してこちらは、夜の内に増えたものの敵より少ない二千弱の陸上兵力と、夜襲後退避行動をとったのでいつ帰ってくるかわからない『ドラゴン・デュ・テーレ』に突貫工事で修理中の傷ついたフリゲート、初戦で被害を受け警戒と本陣の直衛にも支障を来しかけている竜騎士隊、あとは……今夜到着すれば上出来なセルフィーユ空海軍がその全てである。
 陸兵は動員中の連隊や諸侯軍が期待できるが、空海軍は……遮二無二修理を行ったとしても、まとまった数は用意できないだろう。いっそ往事のアルビオン王立空軍を見習って、機関と帆の修理が済んだフネを夜陰に乗じて戦場外に退避させるべきか、微妙なところである。
 もっとも、今日のところはそのような選択肢は考えなくていいし、第一そんな暇もない。
「伝令!
 発、見張り所!
 敵陣、進軍の気配あり!
 艦隊は艦列を組み上げつつあります!」
 夜明けがいよいよ迫り視界が明るくなりはじめると、敵艦隊は既に帆を張っていたし敵陣にも動きがあった。
 あまりにも予想通りで、司令部の誰もが驚かなかったほどだ。
「伝令!
 発、総司令部、宛、艦隊司令部!
 既に戦端は開かれている、支援砲撃は総司令部の命令を待つ必要なし!
 以上であります!」
 世界樹頂部の見張り所と艦隊司令部、地上の総司令部は、各艦から集められた若手のメイジ士官が伝令役として往復していた。杖を持たない通常の伝令に長い階段を往復させるのは、消耗も早いし時間が掛かり過ぎる。
「何がどうあろうと、今日一日、酷いことになるのは間違いないでしょうな」
 いつのまにか司令部に戻っていたラ・ラメーが、難しい顔を崩してにやりと笑った。……苦しいときこそ笑顔であれとは、誰の言葉だっただろうか。
「まあ、彼我の距離から言って、もうしばらくは余裕があります。
 兵への配食は始まっていますが、陛下も如何です?」
「……いただきましょう」
 陸戦が主体となる場合、敵が動き出したからと言ってすぐに戦端が開かれるわけではないと、リシャールも教えられている。
 多少は戦慣れをしてきたのかどうかまでは、自分にもわからなかったが。

 それでも時間が進むに連れ、戦は動く。いつもなら城で朝食を摂っている頃合いに、敵艦が一斉に回頭、ラ・ロシェールに舳先を向けたと報告が来た。
「軍港内の各砲に再度伝令!
 敵艦はやり過ごし、敵地上部隊が予定の線を越えるまで沈黙を保て!」
 こればかりは、手の打ちようがなかった。
 配置はしたものの、根本的に数が足りていないのだ。
 敵艦は狙わずやり過ごし、地上部隊を散発的ながら攻撃して行軍速度を落とさせるのがせいぜいだ。
 それでも幾らか勘案し、上層部に設置した砲は三射の後に散弾を装填、僅かながらに配備が間に合っていた散弾砲とともに竜騎士の襲撃に備えることとされていた。
「敵艦隊、高度を取っています!」
 敵はあっさりと軍港を無視した。
 こちらの艦隊にほぼ戦力がないことは、考えるまでもないのだろう。……実際、セルフィーユ空海軍の全てに『ラ・レアル・ド・トリステイン』と数隻の随伴艦、外に出ていたフリゲートなどを加えても、正面から殴り合える戦力とはとても言えない。神聖アルビオンの立場なら、無警戒ではないにせよ来たら来たで相手してやればいいだろうというあたりか。艦列を組んだ戦列艦の群とは、そういったものなのである。
「……ラ・ロシェールにまともな戦力がないことはばれているでしょうが、阻止もできませんな」
「撃ち下ろし、ですか……」
 こちらが軍港に大砲を配置し高度差を利用して敵の地上部隊を通常の射程外から狙うのと同様、敵艦隊もまた高度を取ってこちらの地上部隊を攻撃するのだろうと見て取れる。
「……」
 ゆったりと、アルビオンほどの高空まで高度を上げた敵艦隊は、やがて地上への砲撃を開始した。
 こちらはと言えば……敵地上部隊の進軍は遅く、未だ射程には捉えていない。……いや、平常より長い目の準備砲撃と見るべきか。地上部隊同士の直接戦闘が始まる前に敵の数と士気を削いでおく努力をするのは、ハルケギニアに限らず戦の常道である。
「伝令!
 『北西』より敵竜騎士、数は二十!
 こちらには目もくれず、こちらの陣を襲撃しています!
 我が方の竜騎士はこれを迎撃中!」
「伏せられていたか!?
 警戒の竜騎士は?」
「不明であります!」
 やられた。
 昨夜のお返しでもないのだろうが、艦隊から飛んでくるものと考えていたこちらのあては外れ、奇襲を受けることになろうとは……。無論、総司令部には直援の竜騎士隊が配備されている。なんとかしてくれると信じたい。
「……駄目ですぞ、陛下」
「……駄目ですか」
 桟橋より発進、直上から襲ってやれば多少はましかと考えたのだが、こっそりと腰を浮かせかけたところは、しっかりとラ・ラメーに見られていた。
 もどかしいが、ここは味方を信頼するしかない。
 昨夜、こちらの竜を率いる隊長とは、しっかり言葉を交わしている。
 この数分、勝負所かとリシャールは瞑目していたが、それは報告によって数瞬で遮られることになった。
「伝令!
 味方竜騎士、全滅!」
「くっ……」
 味方の竜騎士を、不甲斐ないとは責められまい。数と練度で勝る敵に勇戦したことは間違いないはずだ。
 こちらは未だ、砲の一つも放っていなかった。敵が射程外にある以上、今撃っても無駄弾になる。対して味方は、陣地構築に時間を割けた分多少はましと思えても、それ相応の被害を被っていた。
 予想はされていたが、地上戦が本格的に始まる前から負け戦が確定的であると、改めて思い知る。持久戦も何も、あったものではなかった。
 特に無傷の敵艦隊、あれがいけない。皆頑張っているしこちらも手を尽くしているが、ゲルマニアの援軍が現れるまで戦線を維持出来ない可能性が高い。
 時期も悪く、準備も整っていない中、ここまでよく頑張った……などと言えるわけもなく、リシャールは重いため息をついた。
「敵艦隊、徐々にラ・ロシェールへ接近!
 総司令部付近に砲撃を集中!」
 リシャールはちらりとラ・ラメーの表情を盗み見た。……これはいよいよ、アンリエッタを迎えに行く必要があるか。
 判断の時期を間違えれば、士気は一瞬で崩壊するだろう。無論、アンリエッタの死によっても全ての努力が水泡に帰するので、見極めが極めて困難だ。
 しかし、その判断を下す時期はまだ早かったようである。
「伝令!
 所属不明の竜が、敵竜騎士を全て撃墜!」
 ……アルビオンの竜騎士を、全て撃墜?
「何!?
 ゲルマニアか? ガリアか?」
「いえ、違うと思われます!
 濃緑の翼に血の跡をつけた、おそろしく素早い竜が……ああっ、あれです!」
 伝令が外を指差すと、少し遅れてぶおんと大きな音が桟橋にも聞こえてくる。
 座っていたリシャールには、『それ』は見えなかった。それでも、十数年振りでありながら初めて聞く音で、それでいてある意味耳慣れた音が聞こえた。
「……あ!」
 だがそこに、『濃緑の翼に血の跡』となれば、謎解きは難しくない。しかも戦場であるタルブに縁の品で、先だって運び出されたと報告も受けている。……多分、間違いないはずだ。
 問題は誰が操っているかだが、まさかと思うと同時に、『彼』ならやってしまいそうな気もする。フーケが扱えなかった『破壊の杖』も、見事操って見せたそうだし……。
 いや、今はいい。
 大事なことは、この流れに乗ってしまうことだ。少なくとも、士気は上がる。
「……艦長!
 あれは味方、間違って攻撃しないよう各砲および総司令部へ伝令を!」
「はっ!
 伝令!」
 ラ・ラメーは素早く伝令を送り出してから、訝しげな表情をリシャールに向けた。
「……陛下は何かご存じで?」
「こちらに運が向いてきたのは間違いないと、今は思っていますよ」
「ほう?」
 出来るだけ自信たっぷりな様子でにやりと笑い、ふっと息を吐いたその時。

 空が、輝いた。

「なんだ!?」
「何事か!?」
 リシャールもわけがわからず目を瞑ったが、衝撃も何もない。
 すぐ我に返り、周囲を見回す。幸い、こちらに被害はないようだった。
「総司令部と連絡を!」
「大変です、敵艦が……!」
「どうした!?」
 艦隊司令部のある桟橋、特に砲を配置した先端の方で歓声が上がっている。
 流石に気になり、リシャールも椅子を蹴って走った。
 桟橋の先端で、信じられない状況が目に入る。
「……え!?」
 あれだけの威容を誇り手を出しあぐねていた敵艦隊が、一隻残らず地上へと叩き墜とされ、煙を上げていた。





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